酒井酒蔵(株)

武重本家酒造(株)

千曲錦酒造㈱

㈱神戸酒心館

嘉美心酒造㈱

千代寿虎屋(株)

富久錦(株)

岩国市と言えば「錦帯橋」。五連のたいこ橋の独特な美しさから、日本三大名橋の一つに数えられる錦帯橋にちなんだ「五橋」をブランド名にもつ酒井酒造を訪れたのは、春まだ浅い3月の夕暮れである。ご自宅のゆったりした和室に案内されてお待ちすると、ほどなく和服に着替えられた酒井 佑社長が現れた。

 

経営の現状はいかがですか。

 当社の日本酒の売れ行きはこの5年間横ばいですが、まずまずです。低アルコール酒(「花ならつぼみ」)は徐々に伸びており、720mlで月平均千本位。小規模な蔵としては、これ以上製成量を増やす積もりはなく、地道に消費者に喜んでもらえる酒を造り続けるのが課題です。

 

日本酒全体としては不振が続いていますが、その原因は何だとお考えですか。

 アルコールや糖類の添加を正当化して消費者の信頼を失ったことが最大の要因だと思います。当社では10年以上前に糖類添加をやめ(中国地域では最初)、添加するアルコールも昨年からは米アルコールに代えました。

 

商品政策や酒造りでのモットーなり、力を入れていることをお聞かせ下さい。

 吟醸酒や純米酒の比率はさほど高くありませんが、自分が晩酌で飲む「当たり前の酒」を人にも奨めたいのです。一番のこだわりは原料米。質の良い県産米を確保するため、柳井市伊陸(いかち)地区の農家と山田錦の栽培契約を行ってきましたが、さらに一歩進めるため、一昨年10月に精米所を伊陸に移設しました。農家の人が、自分の米の出来具合を気にして精米所を訪れるなど思わぬ効果がでており、今後の品質向上が期待されます。また、通常の醸造期間は11月から4月末までですが、10年前から夏に仕込んだフレッシュな生酒を地元限定で販売しています。

 

最近の明るいニュースは何でしょうか。

 県内唯一の金賞受賞(昨年)や全日空の国際便ファーストクラスに「大吟醸・錦帯五橋」が採用されたこと(99年9月~2000年2月)もありますが、一昨年10月から発行している「蔵元だより」に対する反応がお客さんから返ってくることの方がうれしい。コミュニケーションの大切さを再確認しています。

 

新しい時代におけるお蔵の姿について、抱負を聞かせて下さい。

 まずは、お米にこだわる蔵であり続けたい。第二に日本酒の持つ伝統性を大事にしたい。そのためには、蔵元の生活スタイルから正すことが大切です(たとえば、お澗は必ず湯煎にするなど)。第三に、お客さん本位をつらぬいて、地元と密着した蔵をめざしたいと考えています。

 

 

 

麹室にて:酒井 佑社長

 

 

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酒井酒造の特徴は、若い力が伸び伸びと活躍しているところにある。夏期の生酒造りや、月刊の「蔵元だより」も若い社員が主力となって支えている。45年の経験を持つ吉永杜氏や酒井社長と、若手社員とのコミュニケーションも申し分ないようだ。あくまでも堅実な経営方針とあわせて、当社の最良の資産はここにあるとの印象を深くした次第である。(事務局)

 

 

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【会社データ】

•従業員数:常勤23名+非常勤(季節含む)8名

•創業:明治4年

•製成数量:630kl(実数)

•課税移出数量:798kl(実数)

•特定名称酒比率:吟醸酒(純米吟醸含む)8%、純米酒8.8%、本醸造酒11.6%

•販売先構成:山口県(日本海側を除く)・広島市などの山陽地方が中心。小売30%、卸売70%

 

 

最後に、日本酒ライスパワーネットに対する期待や要望を。

 一ノ蔵さんの「3トン以上の仕込みはしない」というポリシーや、「米を見直す」というライスパワーネットの考えに共感して、仲間に加えてもらいました。富久錦さんの「純米酒100%路線」も凄いですね。こういう人々が身近にいること自体に価値があります。低アルコール発泡純米酒「すず音」にも興味があり、できれば手がけてみたいのですが。

長野新幹線で軽井沢の次の佐久平駅は、まさに高原の真っ只中にある。ただ、新幹線効果というのか隣接する形で巨大なショッピング・モールがでんと腰を据えていて、駅周辺の風景は単なる静かな高原ではない。ここから車で約20分、中山道望月宿を経て細い道を下って行くと時代を感じさせる白壁の家が数軒立ち並ぶ。その中心が武重本家酒造(株)である。

 慶応元年に酒造りを始めるまでは叶屋と称する豪農であったというが、その名残りを十分に留めていて、本年4月の文化財保護審議会で同社と武重家の建造物30点が「登録有形文化財」として答申された。この制度では、修理・改造が比較的自由なので、酒造りをしながら保存していくことができる。工学部精密工学科出身。ソフト会社経営。33歳で蔵に呼び戻されてから約7年という髭武者。日本酒メーカーとして最初に自社でホームページを作成された武重有正常務に率直な質問をぶっつけてみた。

 

日本酒需要は全体として低落の一途をたどっていますが、「御園竹」の売れ行きはどうですか。

 残念ながら当社でも売れ行きは落ちています。生産能力は3千石あるのですが…。佐久の川西地方で売上げ70%を占めていてまさに地の酒なのですが、以前のように日本酒をあまり飲んでくれなくなっただけでなく、需要の中心が一升2千円以下の普通酒という構造ですから。大吟醸のような高級酒は贈答に使われる程度で日常はあまり飲まれないのです。

 

日本酒低迷についてもう少し分析してみてください。

 まず核家族化が進行して、父親が晩酌するという風景、習慣がなくなり、手軽な酒で済ますという傾向になっていることでしょう。また料理にもあまり使われなくなっているなど日本酒が家庭において身近な酒ではなくなっているように思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  蔵の入口にて:武重有正常務

 

大変ですね。この事態の打開策としてどのような手を打っておられますか。

 たとえば、ターゲットを30~40代の女性に絞って、「元旦に甕の酒を皆で飲もう」というキャッチフレーズで甘口純米酒を「元旦届けお年賀甕酒」(甕、杓、猪口のセットで5700円)を8百セット予約販売したところたちまち完売しました。

 商品開発では、不思議なお酒をブレンドした13度の純米酒「つゆ草」が好評です。 また、新しいタプイプの貴醸酒(酸を出したさっぱりタイプで13度)も開発しました。また、消費者とのコミュニケーションを強化するため昨年から「酒蔵開放」を始めたところ、昨年450名、今年は927名と予想を大幅に上回る来場者があり、お酒と蔵の雰囲気を楽しんでいただきました。

 

ところで、「あ、不思議なお酒」タイプの低アルコール酒の販売量は随分少ないですね。

 はい。お恥ずかしい程度の出荷量です。先に述べましたように主たる客層がいわゆる伝統的な日本酒ファンですし、せいぜい来客用に買ってくれる程度ですから。ただ、発泡純米酒はぜひ手掛けてみたいと思っています。

 

抗潰瘍酒についての期待の言葉を。

 私としては、お酒もさることながらこのエキスを入れた水の販売、「水商売」に関心があり、お酒の販促材料としても大いに期待しているのですが。

 

 

「文化財酒蔵」にふさわしい白壁土蔵

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 武重本家酒造は、限られた在来型の客層を相手に苦労されている典型的な小規模蔵である。小売直売が大半というからその分流通コストが節減できるとはいえ、需要減少と競争の二重苦の中で経営の舵取りはさぞ大変であろう。しかし、時間的に近くなった首都圏への進出、地域を越えた連携(特にSRN会員企業との)、他業種で有形文化財指定企業との共同マーケティング、「文化財の中で醸し出された酒」というイメージの活用、消費者への直売(ダイレクト・マーケティング)などチャレンジの余地は多々あるのではないか。「文化財酒蔵」という財産を武器に、新しい世紀における小規模蔵のモデルとなるような魅力溢れる蔵へ向けての歩みを心から期待したい。

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【会社データ】

• 従業員数:14名(季節蔵人4名)

• 創業:慶応元年

• 製成数量:約280kl

• 課税移出数量:

• 特定名称酒比率:25%

• 杜氏:新潟杜氏

• 販売先構成:

 

 

 

 

残暑の日差しがまだ残る9月上旬、佐久地域では2件目の訪問先となる、千曲錦酒造を訪ねた。

 同社は、上信越自動車道・佐久インター、長野新幹線・佐久平駅のどちらからも約5分という至便の地にある。とはいっても、同社が手狭になった市内岩村田からこの地に移転したのは昭和37年のことで、当時は一面の山林と畑だったという。 約1万5千坪の広大な敷地の奥まったところにある4階建て工場の屋上からは、北には間近に迫る浅間山、南に蓼科山と八ヶ岳、西にははるかに北アルプスの嶺々を望むことができる。

  「吉田屋」の屋号で天和元年(1681年)創業という、3百年以上の酒造りの歴史をもつ同社の現状と今後の抱負について、SRN担当の原副社長と製造部長の上原杜氏にお話をうかがった。

 

 

日本酒需要全体が減少する中で、千曲錦の現状と対応策をお聞かせ下さい。

 当社もピーク(昭和48年ころ)の約3000klから1300klへと製造数量は大きく減少しています。量産・低価格が勝負の普通酒・本醸造酒のジャンルでは、灘・伏見の大手に押されてきましたし、これに対抗する地酒も、「淡麗辛口」一辺倒になりすぎて消費者にとって変わり映えのしないお酒が多くなったからだと思います。そこで日本酒の商品ラインの多様化、特に蔵独自の味

を持ったまさに地酒と呼べる酒や乙類焼酎などで売上げの減少に歯止めを掛けたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

事務所前にて:原 拓男副社長

 

日本酒の商品政策について、もう少し詳しく説明してください。

 基本ブランドの「千曲錦」のほかに、「吉田屋治助」と「帰山」という商品グループがあります。前者は、昭和4年に株式会社化した曽祖父の名前に因んだもので、「ぬる燗」でおいしい酒をめざした特別本醸造酒がベースです。後者は平成8年に商品化したもので、特別純米大吟醸・袋絞りの「壱番」から、特別純米酒の「与番」までの4種類6品目があります。「喉越し」ではなく口に含んでおいしい、甘味と酸味のバランスの良さを追求したお酒で、6ヶ月以上瓶詰め低温貯蔵させた無加水・無添加の純米酒です。

現在、都市部を中心にした特定の小売店を通じてのみ販売しています。

 

最近、発泡酒を発売されたそうですが、SRNとのお付き合いのきっかけや、発泡酒商品化の苦労話などを教えてください。

 われわれのように、お酒の好きな人でもアルコール度の高い日本酒は余り飲まなくなり、まして若者は「何々サワー」やら「何々割り」が主流です。低アルコール酒が絶対必要、と考えていたところへSRNの前身の「コンポ・バムバム」の存在を知り、佐久平では一番あとから参加しました。

 低アルコール酒は平成9年に「リ・ヴァン7」(7度の米のサケとの意)として商品化し、前述の「帰山」取扱店を通して販売しています。発泡酒については、昨年、一ノ蔵さんを訪ねて指導を受け、今年の6月から「クアトロ」(4度の意)の商品名で発売したばかり。当初は、ビンの口径とねじり栓のサイズが合わず、ビン詰後の火入れ具合によって栓が飛ぶなどの失敗がありましたが、ようやく安定的に生産するメドが付きました。業務店からの引き合いは極めて好調です。

低アルコール発泡酒の滑り出し好調で何よりです。最後に、SRNへの今後の期待や、御社の抱負をお聞かせ下さい。

 SRNには、今後とも新しい情報や技術の提供を期待しています。もちろん、現在開発中の「抗潰瘍酒」にも大いに関心があります。当社の独自の課題としては、もっと地元地域との交流を密接にしていきたい。他の蔵と共同で「酒処としての佐久」の認知度を上げていくのも大きな課題です。

 

  遠方からも看板がよく見える近代蔵

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 訪問した時、高校生とおぼしき青年たちが三々五々、正門を入ってくるのを見かけて不思議に思ったのだが、実は、敷地の一部を野球場兼サッカー場のグラウンドとして開放しているとのこと。時折、甲子園にも出場する佐久長聖高校の部活動は当社が支えていたのである。

 社の沿革を伺うと、岩村田に居を定めて帰農したのは、「武田信玄の24将」の一人、原美濃守虎胤の孫・原甚蔵であり、その何代か後の弥八郎が酒造業の「吉田屋」を開いたのだという。戦国末期に帰農を決断したことといい、昭和の始めに株式会社化したことといい、なにかと「進取の気」に満ちた伝統の力を感じさせる。21世紀に向けて、佐久平の名をさらに高めるような活躍を期待したい。

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【会社データ】

• 従業員数:43名(季節1名)

• 創業:天和元年(1681年)

• 製成数量:約1300kl

• 特定名称酒比率:34%

• 販売先構成:関東、長野

 

あの大震災から6年が過ぎた。テレビ画面を通じて知った被害の状況は、今でも鮮明に思い出される。日本酒の主産地灘五郷の酒蔵も大きな打撃を蒙リ、廃業する企業も出たことは記憶に新しい。

  その中にあって、震災を契機に社名を変え、新たな意気込みで一層文化活動に力を入れて地域活性化に貢献し、経営上も成功を収めている蔵が「神戸酒心館」である。同社の元気な秘密を探り、またメセナ大賞地域賞を受賞するほどの文化活動の実情をこの目で確認するために、底冷えのする2月のある日、新幹線・新神戸駅から海寄りに車で20分の地にある同社を訪れた。応対してくださったのは、安福重照社長と安福幸雄専務のご兄弟である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

安福重照社長(右)と同幸雄専務 念入りにデザインされた蔵の前景

 

まずは大きな賞、おめでとうございます。

 ありがとうございます。とにかく当社以外の受賞企業はいずれも巨大企業ばかりですからね。名誉なことだと思っております。

 活動の規模は別として、私たちの長年にわたる地道な活動が評価されたことは嬉しいことですし、また社員全体の大きな励みにもなりました。

 

震災後、社名を変更されました。伝統を重んじる酒蔵として、社名を変えるのは勇気の要ることだと思いますが。

 おっしゃるとおりです。でも当社は、戦災でも焼失し、その時に銘柄を「福寿」に、また62年には社名を「福寿酒造」に変えた経験があります。だからというわけではありませんが、また戦災同様の試練を受けたのを機に思い切ってもう一度変える決心をしました。

 

建物の外見は酒蔵そのものでありながら、門をくぐると、正面が蔵と事務所、左手の平屋の建物は和風料理の店、右手の二階建ては、お酒の販売、利き酒、自家製の豆腐や酒の肴を含む食品販売、それに酒器の販売を中心とするショップ、そしてその奥が酒蔵の雰囲気をそのまま生かした多目的ホールという構成になっていて、デザインが実によく考え抜かれていると感じました。投資額もかなりなものになったのではありませんか。

  そうですね。これだけの設備にするのに20数億円かかりましたが、幸いなことに高度化融資の震災特例が受けられましたので踏み切ったわけです。でもその返済がこれから始まります。

プランは震災前からありましたから、それをベースに淡交社や竹中工務店が意欲的に取り組んでくれて倒壊した建物の廃材とか庭石も活用することができ、良いものができました。

 

ただ、全体として日本酒需要の落ち込みが続いていますが、業績のほうはいかがですか。

  日本酒は、高価格イメージと高アルコール分のため随分苦戦していますね。デパートのギフト需要も随分落ち込んでいます。幸い当社の場合、敷地内でのレストラン、物販、それにイベントの収入も好調ですし、消費者を組織化した会員制の「酒心館クラブ」がほぼ1万人になってこのルートの販売も順調に伸びていますので、昨年は売上高ベースで18%の伸びがありました。

 

それは素晴らしい。文化酒蔵としての価値が総合力を発揮してきているようですね。流通面でも会員組織を持っておられるようですが。

  はい。主として京阪神と首都圏の酒販専門店を対象に「酒心館の会」があります。商品管理に万全を期すため会員は温度管理ができることも重要な条件になっていますから、お客様に対してよい品質のお酒をお届けできるようになり、それが信頼にもつながっているように思います

 

 

酒造りの面では、当会員の「龍力」本田商店を含む5社と「兵庫五国酒蔵之会」を結成するなど、伝統製法による個性的なお酒をめざしておられるように感じます。その点で、わがグループの共通商品である低アルコール純米酒についてどのように考えておられますか。それに商品「夢さやか」の売れ行きはいかがしょう。

  最近の飲酒傾向からも日本酒の業界にとって低アルコールの商品は絶対不可欠です。その観点からもこの純米酒「夢さやか」が出たことは大変意義があります。当社の飲食店舗でコース料理の食前酒としてお出ししていますが大変好評でして食事後にこれを買って帰られるお客様が多数おられます。

  また、だんだんと分かってきたことは、アルコールにあまり強くない男性が意外と多いことで、「夢さやか」ファンが増えつつあります。一度飲んでいただくと固定したファンになっていただけますが、店頭において置くだけでは売れません。ですから販売店舗では試飲をしていただいています。

 

ところで、これほど文化活動を積極的に実施されている理由とその内容についてお聞かせください。

  震災後、酒蔵が倒壊しましたから活動を一時中止していたのですが、地元の方々から再開してほしいという要望が多数ありましたので、酒蔵を最大約170名収容の「神戸酒心館ホール」として改築しました。これは日本酒を扱う企業として日本の文化を大切にしたいという思いからでして、催し物は舞楽、文楽、能楽、邦楽、狂言、落語などの伝統芸能に重点を置いています。もちろんコンサートや文化講演会も行いますし、市民オーケストラ「神戸フィルハーモニック」のメンバーに稽古場として提供したりしています。そうそう、大抵の催しは、宣伝も兼ねて「利き酒付」にしていましてね。これがまた好評なのですよ。

 

それだけ多彩な活動を運営していくのは大変だと思いますが、運営はどのように行われているのですか。

  文化活動の企画・運営は、事業部が担当しています。ここで月2回のペースで行う。自主企画事業のほか、年4回『酒心館通信』を発行し、酒蔵のPR、食や暮らしの提案、催しの案内なども行っています。事業部の人員は、社員4名、パート6名で文化事業だけでなく年中無休の物販部門も担当しています。皆よく頑張ってやってくれていると思います。なにしろ訪問者の数が、多い日は5、6百人もありますから。

 

 

先ほど拝見したホールは、天井が木組みで高く、木造ならではの風情に満ちていますね。

  そうですね。酒蔵の趣をそのまま生かしたホール内は、観客だけでなく出演される方々にも大変親しまれています。音響、照明等の設備も完備していまして、さらに酒槽をアレンジしたテーブル席を設けたり、茶室もありと工夫を凝らしています。

 

当社は、すでに小規模蔵経営の一つの理想型を完成されているのですが、これからのご計画は何ですか。

  常々考えていることは、「どうやったらお客様に蔵で造った味をそのままお届けできるか」ということです。これを実現するには、製品をよく理解していただき、品質管理の徹底した小売店のネットワーク化とアンテナショップとしての直営の料飲店が重要になってくると思います。

 

 

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 すでにお気づきのように、このインタビューでは酒造りについてあまり質問をしていない。それは、この蔵の門をくぐったときに、各地でみられるような並みの観光蔵ではないことを直感したからだ。キチンとした設計思想と綿密な工夫によって、酒造り、文化事業、物販事業、レストランなどが一体となり、それほど大きくはない蔵全体の魅力を醸しだしている。

  それもそのはず、この蔵は、大震災後の社名変更による再出発に際して、「伝統製法による酒造りと清酒の文化を創造する本格酒蔵」という明確な企業コンセプトを設定しておられるのだ。このような蔵だからこそ文化事業も本物であり、このような蔵だからこそよいお酒が生まれる―蔵を訪れる人々は、皆そのことを感じているに違いない。理念、コンセプト、それを具現するハードとソフト、それらが一体となってはじめて人々の心をつかむことができるのだ。

  そのような意味で、神戸酒心館の生き方は、これからの小規模蔵経営にとってモデルの一つになるのではないか。百聞は一見に如かず。ぜひ一度見学されたらいかが、と会員の皆さんにお薦めしたい。安福社長も歓迎しますとおっしゃっているので。

 

 

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【会社データ】

•従業員数:35名

•創業:宝暦元年(1751年)

•製成数量:約450kl

•課税移出数量:

•特定名称酒比率:90%

•販売先構成:首都圏、京阪神など

 

多彩な催しが行われるホール

多彩な催しが行われるホール

「嘉美心」のお酒が醸し出されている蔵の所在地、寄島町は、倉敷と福山の中間地点にある海に面した人口六千人のひっそりとした静かな町である。月刊誌DIMEの取材記事で「平日の昼間だというのに、車一台、人っ子ひとり見かけない。」という記述があったが、私の場合は自転車に乗った女学生に一人出会った。でも周辺は住宅地であるから静かなのは当然なのだが。

  この地は、かつて備中杜氏の中心地であり、蔵の敷地に隣接して「備中杜氏研究所」があったが、現在では七人にまで減った。時代の流れに抗し切れず押し流されていく日本酒業

 界の現状を示している。

  藤井社長とは、すでに常任幹事会等でおなじみであり、品質に関しては人一倍頑固一徹であること、穏やかな表情の裏に烈々たる闘志を秘めておられること、また曲がったことは大嫌いなお人柄であることなどもよく分かっているのだが、蔵にお邪魔するのは初めてだ。

 

 ― まず、酒蔵としての沿革からお伺いします。

 創業は、大正二年(一九一四年)でして私で四代目となりますが、私が酒造りにかかわるようになったのは、昭和四一年(一九六六年)からで、それまでは六年ほど三菱重工業で人事・労務担当の事務屋をしていたのですが、先代の義父の要請で入社しました。三十一歳のときです。

  酒造りの勉強のため当時の醸造試験所での短期講習に出してもらいました。出席者の中では最年長のオジサンです。今振り返ってみても、このときほどよく勉強し、また夜遅くまで語り合ったことはありません。まさに私の青春でした。

 

― 鈴木和郎さんは、初めて嘉美心を訪問したときの思い出として、藤井さんと社員の会話が非常に印象的だったという話をよくされます。藤井さんがもろみの具合を聞いたときに蔵人が「順調です」といった答えをすると、藤井さんが「いやそんなことを聞いているのではない。もろみがぬくがっていたか、寒がっていたかということだ」と言われたというのですが、元々技術者ではなくサラリーマンをしておられた方が蔵人となったわけですからさぞご苦労が多かったことでしょうね。

 そうです。かなりの年月、蔵人をやりながら酒造りを肌で学びました。先代にはずいぶん厳しく仕込まれましたよ。今はもう造りはしませんがね。

  私どもの蔵では、会社の方針として「経営者の卵は蔵で実務をする」というのが定めでしたが、私の時までは「余分の社員」として遇されていました。しかし今は違っていて、同じ蔵へ入ると言っても息子の常務の場合、製造以外の経営の仕事は時間外にするわけですから実に大変です。

  ただ、こうしたわが社の掟は正解だと思います。酒の息吹は、単なる定期巡回ではとてもじゃないけど体得できませんからね。

  いずれにしても、「蔵入り」が私の原点になっているのは紛れもない事実なんです。

 

 

― ところで、辛口全盛の時代に甘口にこだわっておられるのはどういういきさつからですか。

 正確には甘口でなく「旨口」を売り物にしています。いわゆる甘口の酒を柱にしてきた理由は、まず「一番安い酒に沢山米を使え」という先代の教えに従ってきたからですが、高精白米を沢山使い、しかも粕を多く出すという贅沢な造りですから当然コストは高くなります。

  第二に、酸とアミノ酸を少なくすることによって後味をよくするためです。そのために麹の造り方に工夫して温度を通常の十%低くした寒造りであり、また貯蔵についても真夏でも十五度以下にしています。でもこのやり方だと温度管理が難しく、またコストも高くなります。蔵全体を冷房していますし、また蔵の中には集塵機を設置して殺菌した空気を使用するようにしています。製成数量のわりに蔵が大型になっているのはそのためです。新しくこの蔵を建設したのは、昭和四五年(一九七〇年)です。

 

― 日本酒はゆるやかに衰退の道を辿っています。どこの酒蔵も経営はたいへんだと思いますが。

 残念ながら当社も例外ではありません。お酒の生産量は徐々に減っており、二五年間で約四割減少という状態です。ところが、当社としては、造りに関しては社員技術者を中心としており、杜氏は非常勤の技術顧問にしています。シーズンを通しての季節労務者はおりませんから固定費負担が重くのしかかってきつつあります。そこで今取り組んでいるのが食材の開発でして、これで売上げを増やし固定費をなんとかカバーしようと考えています。

 

―藤井さんは、「あ、不思議なお酒」開発段階から関わってこられたのですが、低アルコール日本酒が殆どみられなかった十八年前の状況をお聞かせください。

 徳山さんが開発した理論を実用化にまでもっていきましたが、発売から三年間は殆ど売れなくて本当に苦労しましたよ。

  この酒は、発酵を中途で止めると同時に酵母を減らし、発酵を抑制する方法ですが、中途で止めると普通つわり香が出る。これは業界ではタブーであったから、この問題の解決が大変でした。開発の中心となっていわゆる製造のレシピを作成したのが、現在、取締役技師長を務めている福田です。

 

― 逆境をどうやって切り抜けるのか。名酒「嘉美心」の蔵元として、今後の抱負をお聞かせください。

  いずれにしても難しい時代に入ったものだと思います。しかし、考えてみればやはり微生物の世界は無限の宝庫ですから、成長が期待できる世界でもあるはずです。自分の足元をしっかり見据えて可能性を探っていきたいものです。ただし、徳山さんがよく言われるように、狭い既成概念にとらわれなければの話ですがね。

  とにかく私たちは固定観念にとらわれすぎてきました。例え話ですが、「十円硬貨は丸いもの」だとね。しかし、見方によっては十円硬貨は丸くない。「細長くも見えるよ」といった考え方が大事なのではないでしょうか。そこに希望を託して、グループの皆さんと一緒に活路を開いて行きたいと念じています。

 

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 「嘉美心」という銘柄の由来は、二代目の藤井松三郎氏が「身も心も清らかにして御酒を醸したい」との願いから、「神心」と同音の言葉を選んだことにあるそうだ。歴史を誇るだけで理念無き烏合の衆、したがって存在意義の乏しい企業が多い中にあって、酒蔵としての歴史は比較的浅いものの、歴代経営者の精神性の高さは数ある酒造メーカーの中でも屈指のものと言えるのではないだろうか。四代目の藤井晃生社長も、名刺に「私たちはお酒を作ることではメーカーですが、生きるうえでは消費者です。だから家族の口にいれさせたくないものは作りません」という誓いを刷り込んでおられるように、頑なまでに品質を重視する一方、新時代にふさわしい「環境、健康、安心」を経営のキーワードとしてそれを実践されている。

  ただ、残念ながら「日本酒業界の良心」ともいうべきこの蔵の経営も市場環境悪化の荒波の中で苦戦を強いられている。企業成長の第一法則は、「成長市場に足を踏み入れていること」だ。いかなる企業もこの法則には逆らえない。

  しかし、視野を広げ、また消費動向を深く読み取れば、衰退する日本酒の分野でも成長商品はあるし、ニッチ商品もある。食品市場となるとチャンスの芽は多数あり、たとえば健康補助食品のサプリメントや健康食品のように着実に需要が伸びている分野がある。

  先の「経営のキーワード」と当社の技術をもって食の分野に切り込めば必ずや新しい道が開かれるに違いない。藤井社長の斬新な戦略と手腕に注目したい。

 

 

 

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【会社データ】

•従業員数:正社員20名(女性7名)、嘱託6名

•創業:大正2年(1914年)

•製成数量:約500kl(2700石)

•課税移出数量:

•特定名称酒比率:26%

•販売先構成:県内比率80%、県外(名門酒会ルート)比率20%

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本酒の需要低落にはいぜんとして歯止めがかからない。この厳しい現実の中で県内市場を主戦場とする地酒メーカーは、どのような方向を模索しているのだろうか。このような問題意識を抱きながら訪ねた先は、さくらんぼの主産地として知られる山形県寒河江市の市内にある「千代寿虎屋」である。

  同社は、東北清酒鑑評会で昨年、一昨年と2年続けて吟醸酒と純米酒の2部門で金賞を受賞した。平成年間だけでも春秋通算21回金賞受賞という。醸造技術にかけては折り紙つきの蔵である。その先頭に立つ角田杜氏は、一ノ蔵・浅見社長の従兄弟だそうだ。

  応対してくださったのは、大沼保義社長、ご子息の大沼寿洋専務、そして醸造試験所出身の技術者でありながら杜氏を名乗っておられる角田篤弘氏である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

― まず蔵の沿革からお伺いします。随分おめでたい言葉が重なっている社名ですね。

  「虎屋」の創業は、元禄時代(1696年)と伝えられていますが、幕末には家運が傾いていました。それを再興したのが8代目の大沼保吉で、山形と寒河江に蔵を作りました。大正に入ってから寒河江の蔵が分離独立し、合資会社虎屋寒河江酒造工場の社名で新たにスタートしたのです。戦後になって千代寿虎屋酒造となり、さらに1994年に現在の社名に変更しました。

 

 ― この土地は酒造りに適しているのですか。

  そうです。水と米という原料面だけみても酒造りに好適な風土なのです。先の大沼保吉が寒河江に進出したのも酒造好適米である「豊国」の産地であったことと、寒河江の伏流水は亜硝酸を豊富に含んでいるため吟醸酒作りに好適であることはよく知られています。

 

― たしかに「豊国」原料のお酒はソフトで飲み易く味に特徴がありますね。

  そうでしょう。「豊国」は軟質で蛋白質含有量の少ない米ですし、精米技術面でも扁平精米にして米の形状に沿った削り方をしていますから酒はソフトになります。

  当社は、特に米を重視していて「豊国」だけでなく「美山錦」、「出羽燦々」も契約栽培をしていますが、これは「地場の米を使用して地元で造る地酒」をモットーとしているからです。昨年秋のJA主催の酒米品評会で当社の蔵人、渡辺君が栽培した「美山錦」が見事優秀賞を射止めました。このように酒米を栽培している人が酒造りをするのが理想ですね。酒造りへの愛情のもち方が違ってきますから。

 

― それにしても日本酒の需要の縮小には歯止めがかかりません。当地の市場はいかがですか。

  以前は当社の出荷の97%以上は県内市場向けだったのですが、このシェアは落ちていて現在は80%程度になっています。しかも大手のレギュラー酒攻勢が激しく、県内メーカーは苦戦を強いられています。わが社の売上げも横這い状態が続いていますが、だからといってパック酒をやるつもりはありません。三増酒は早くから止めていますし、これからもやはり付加価値の高い分野を狙います。とにかくお酒に個性を出すことが基本方針で、そのためにもよい酒米が必要なのです。

 

― 県外での需要開拓はどうしておられますか。

   「日本名門酒会」に加盟していますから県外での消費者直売はし難いのですが、毎年1回東京で「千代寿を楽しむ会」を開催するほか、情報発信として『千代寿だより』を年3~4回、3千部ほど発行しています。送り先は大部分県外です。

 

― 今度、米米酒を出されましたが、市場の反応はいかがですか。

  予定の2千本を売り切りました。テスト販売目的で親しいバーとか料理屋においてもらっていますが消費者には好評です。ただどうしても末端価格が高くなってしまいますね。流通に対してライスパワー・プロジェクトそしてライスパワーエキスについて理解してもらわなければならないという悩みはあるものの未取引業者からの問い合わせがあったりして宣伝効果はありました。

  また波及効果として、このようなユニークな新製品の開発に取り組んでいるという会社の前向きの意欲が評価されています。しばらくしたら米米酒に当社のさくらんぼワイン「サワーチェリー」をブレンドしてみようかと考えていますが、面白い製品になりそうです。

 

― ワインといえば、先程拝見したワイン蔵「月山トラヤワイナリー」は本格的ですね。正直なところ、こちらに伺うまではワインは片手間なのではないかと思っていたのですが、どうして本格的な取り組みです。驚きました。いつごろから手掛けておられるのですか。

  1972年に酒造の蔵をワイナリーに改造し、地元特産品としてチェリー・ワインの試験醸造を始めたのが最初です。ブランドは「月山トラヤワイン」とし、特色を出すためにコスト高を覚悟の上で地元のぶどうを使うだけでなく自家農園も持っています。これまでワインがブームに乗って日本酒の落ち込みをカバーしてくれていたのですが、最近はブームも終わってしかも安いワインが出回ってきたため、益々地ワインの存在価値が問われています。大手と中小の棲み分けの図式は日本酒業界と全く同じです。

 

― でも試飲したワイン「月山山麓」は、さっぱりとした味で日本人向きというか和食にも合うワインだと思いました。何か工夫しておられるのですか。

  はい。ワインはあまり造りには手間隙かけないものなのですが、日本酒の技術を応用して低温発酵させています。また、亜硫酸無添加の「しぼりたて濁りワイン」も開発していまして、予約販売をしていますが大変好評です。

 

― 最後にこれからの酒蔵の経営について抱負をお聞かせください。

  常々酒蔵経営は必然性のしからしめるところと考えています。また、虎屋の家訓に「商人〔あきんど〕は信用、信用は誠が基いなり」とあります。良い原料があるからそこに酒が生まれた。気負うことなく、好きなことを誠実にやりこなすことかと思います。

 

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 特定名称酒も含め日本酒の需要がじわじわと減少している中にあって、地酒メーカーは、高級酒路線を選択せざるを得ない状況にある。千代寿も生産量は減少しているものの売上高は何とか横這いを維持しているという。問題は、高級酒路線、高品質路線だけで需要縮小に対応できるのだろうかという点にある。それは、伝統日本酒の酒質そのものと消費者ニーズがミスマッチをおこしているという深刻な状態にあるからだ。

  すなわち、伝統日本酒に背を向け、あるいは日本酒から遠いところにいる消費者を呼び戻すことができるのは伝統日本酒ではないはずだから、高級酒・高品質路線だけでは、自らを益々小さな市場に追いやるだけではないだろうか。その点で「米米酒」は、決して奇をてらった一過性の商品ではなく、日本酒メーカーの新しい路線を示唆する商品ということができよう。

  経営戦略の基本は製品・市場戦略である。製品ライン政策を欠いた市場開発戦略だけでは衰退する日本酒の再生を図ることはできない。国内市場に関する限りいま最も必要なことは、単に市場標的を設定することではなく、市場標的を見据えた上で新たな酒質の製品にチャレンジすることではないだろうか。

  幻の酒米といわれた「豊国」を甦らせ、三増酒全盛時代に「こんなものは日本酒でない」と早々に見切りをつけ、ワインについても原料は徹底的に国産にこだわって自家栽培もし、さらに日本酒の造りを取り入れるなど、大沼社長は柔和で優しい外見からは想像しにくい強固な信念と高い見識をお持ちの経営者である。文字どおり外柔内剛。「静かなるイノベーター」とでもいえようか。

  寒河江から山形へ向かうローカル線の車窓から収穫を待っている黄金色の田んぼを眺めていると、この大沼社長に地酒メーカーのイノベーション・モデルとなるような構想を描いていただきたいという思いが沸々と湧いてきた。(大石)

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【会社データ】

•従業員数:40名(季節労働者を含む)

•創業:元禄9年(1696年)

•製成数量:500kl

•特定名称酒比率:80%

•主要販売地域:山形県、首都圏

 

 

 

旧酒蔵から生み出される純国産ワイン

左から角田篤弘杜氏、大沼保義社長、大沼壽洋専務

丈が高く、褐色の「豊国」は、ひときわ目立つ

SRNの常任幹事稲岡輝彦氏の蔵、全量純米酒を標榜する「富久錦」の所在地は、「加西市」。そこへは姫路市内から車で約四十分、田園地帯が広がる歴史と自然に恵まれた町である。小さな橋を渡って入っていくとこれまた歴史を感じさせる家屋。これに事務所、そして蔵が一体となったようなたたずまいは、「これぞ酒蔵」と言いたいほどの雰囲気を醸し出している。

 輝彦会長については会員もよくご存知だし、またその独自の信念・考え方については会報などですでに紹介済みなので今回はあえて幸一郎社長お一人に話をうかがった。

 

 

― 二十五歳で社長の座を譲られたそうですね。社長としては大変な若さですが、その辺の事情をご説明ください。

   最大の理由は、阪神淡路大震災です。神戸地区には有力な酒販店、そしてその取引先である飲食店がたくさんありました。これらが震災により大きなダメージを受けたため、その営業を会長が中心に受け持ち、それ以外の業務を私が分担することになりました。特に地元でのさまざまなお付き合いや税務署など官庁関係の仕事には肩書きがあったほうがよいということで私が社長に就任することになったのです。

 当初は肩書きと自分自身の感覚にギャップがあったし、色々戸惑うことや思わぬトラブルもありました。

 

 

―三十二歳の青年社長にまず日本酒が衰退している理由についてお考えをうかがいます。

  第一の理由は食の多様化でしょうね。私たちの日常的な食事の中にも、和食以外の食べ物がかなりたくさん取り入れられていますが、日本酒業界としてこの食生活の多様化への対応が十分に出来なかったため、他の酒類にシェアを奪われたのだと思います。

第二点は、消費者意識との乖離です。日本酒業界は、業界内での優位性を競う意識が強すぎます。価格競争も品質競争もお客様不在で行われているから競争の勝者が酒類市場での勝者になれないのです。かつての級別制度に挑戦する無鑑査商品のようにお客様のほうを向いたアクションがなければ乖離は益々大きくなるでしょう。

  食品をめぐる問題が数多く発生している今日、より純粋で安心して飲める商品をお客様に届けていくことが大切だと思います。蔵元がそれぞれの地域において農業と醸造発酵の連携という問題と真剣に取り組んでいけば、時間はかかっても必ずや日本酒は復活するはずです。

 

 

― いまや世の中のアルコール飲料の流れは 低アルコールにあります。健康志向あるいは日本人が民族的にアルコールに弱いことからみて当然ですが、かといって日本酒メーカーにとっては低アルコール酒への転換が難しい。この点についてどのようにお考えですか。

 私たちの会社は、低アルコール酒への転換についてはスムーズに行ったと思います。しかし、雑酒・リキュール類については、私自身に迷いがありました。それは、純米酒に特化した蔵でしたので他の領域に手を広げることについて、中でもリキュール類については戸惑いがあったということです。

  それがアカサケを手掛けることでその迷いが吹っ切れました。消費者にとってその商品が日本酒であるか、リキュール類であるかは大きな問題ではなく、米を原料とした純粋で安心して飲めるお酒であれば、そのことは些細な問題であると考えることにしました。

  アカ酒は、地元で栽培されている「紫黒米」を玄米のまま醸造してルビー色の赤い酒を造っているのですが、これはポリフェノールがあり、さらに抗潰瘍エキス№101を配合してありますので文字通りの健康酒です。消費者の関心は高く、関西限定商品で生産量が少ないこともあって品薄状態が続いています。低アルコール酒は、健康志向の流れに合った商品として別のニーズがあることが感じられますので、不思議なお酒タイプと米米酒も併せてシリーズ化し、本格的な拡販に努めるつもりです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―富久錦は、十年以上も前から「純米酒宣言」 をして業界を驚かせました。さらに平成十年からは「地米酒宣言」をして地元への密着度を高めておられます。こうした強烈なチャレンジ精神の原点はどこにあるのですか。

 実は当社も過去には規模拡大を目指したこともありました。昭和三十年代の終わりには灘の生一本という呼称に憧れて灘の小さな蔵を買収し灘工場を設けました。会長から聞いたところによれば、その後サービス競争に巻き込まれて環境はどんどん厳しくなっていったそうです。

  ちょうどその頃、会長はヨーロッパのワイナリーを視察する機会があり、豊かな自然環境の中で品質本位の酒造りが行われている状況を見て、やはり故郷の加西へ戻ろうと決意したそうです。そのあたりから品質重視の姿勢が強くなり、後の「純米酒宣言」へとつながっていきました。

  私が会社に入ったのは「純米酒宣言」がスタートした直後でして、出荷品の全面切り替えが目前に迫った平成五年の春でした。全製品純米酒化の後も製造担当社員の積極的な採用、全量地元米への転換、有機米への挑戦など、次々と新しい取り組みがスタートしました。

  これらの取り組みに際していつも会長の私たちへの説明のベースとなっていたのは、徳山社長が主張される「農業と醸造発酵の連携による農業振興と地元活性化」という言葉です。これは現在でも私自身が何かを考えるときのベースにさせていただいています

 

 

― 高品質酒の造りは、どのような体制で行われているのですか。

  製造スタッフは七名で、いずれも社歴の新しい若手です。吟醸酒、純米酒、低アルコール酒と製品対応別にに分けて担当者を配置し、ただ酒造りをするのではなく営業担当者と一緒になって売れる酒造りを考えるよう指導しています。

 

― それは大事なことだと思います。ただ、売れる酒造りのためには、やはり商品開発の意識と専任担当者の配置が欠かせませんし、そうなると、営業担当者にマーケティングの意識と知識が必要になってきます。 お酒の拡販策についてお話下さい。

 現在は、経営理念に基づいて地元加西市を中心とした播州エリアでの拡販に力を入れています。数年前には加西市内の一般家庭約一万四千戸を社員で分担して訪問をし、パンフレットやチラシなどを配布したこともありました。

  また、各地で開催していたお酒の会の名簿や日頃の問い合わせ名簿などを活用した独自の通信販売も展開しています。北海道から沖縄まで数千人のリストですが、まずまずの成果を収めることが出来ました。

こうしてお客様と直接接触することによって流通からは得られないさまざまな情報を集めることができます。この経験が「ふく蔵」をオープンするキッカケとなりました。

 

―当社の近年の大きなトピックスは、なんといっても昨年十一月にオープンした多目的ホール「ふく蔵」の建設でしょうね。先ほど拝見しましたが、蔵の雰囲気を残した重厚で堂々たる建物ですね。

  明治初期に建てられてられ百年以上経過した建物を思い切って改造し、一階をおよそ200平方㍍の多目的ホールとし、二階は中央を吹き抜けにして回廊型の飲食スペースにしました。

 費用は当初の予算よりふくらんでかなりの額になりましたが、お客様と直接触できる場を設けたことで地元の方々との交流の度が一層高まり決断してよかった思っています。

 

― 「ふく蔵」ではライスパワー商品の販売にもかなり力を入れておられるようですね。 最近は勇心酒造の代理店にもなられたそうで。

 はい。来店される皆さんの健康に対する関心は高く、売上げは順調に伸びています。特にアトピー特効薬ともいうべき「アトピスマイル」が発売されてから外用剤に関心が集まるようになりました。それに伴って収益への貢献度も高まっています。

  また、勇心酒造が主催する「ライスパワーネット」の代理店になりましたので販売店拡大をしていますが、酒販店を中心に販売店希望が予想外に多く、七月に勇心での研修参加希望者を募ったところ予想外の約五〇名もの応募がありまして急きょ大型バスに変更せざるを得ない状況となりました。このビジネスは、今後当社の大きな事業の柱になりそうです。

 

―将来、どのような蔵をめざしておられますか。また、SRNへの期待の言葉もお願いします。

 すでにお話しましたように、規模は小さくとも地域に密着した蔵にしていきたいと考えています。幸い「富久錦を楽しむ会」も今秋で十五回を迎えます。地元のお客様に支えていただいて大きくなってきた会ですが、昨年は「ふく蔵」のオープンを兼ねて開催することが出来ました。

  また、年二回、酒蔵を一般のお客様に開放し、楽しんでいただく「蔵開き」には毎回多くのお客様にご来場いただいています。これからも地域の人々に身近な蔵でありたいと念じております。

  そのほか地域の農業との連携も徐々に定着しつつありますが、農家や農協との連携を強化し、お互いが理解し合える関係になれば、自然に原料米のレベルも上がってくるものと確信しています。こうした活動を地域に広く情報発信し、地域全体での活動にまで機運を盛り上げていきたいのです。

  社長になってあっという間に七年が経過しました。これからは、会社の前進のためにもっと前面に出て活動をしていくつもりです。そのためにもSRNでの活動を通じて色々なことを学んでいきたいですね。

 

 

 

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 私は日本酒業界と関わりをもつようになってかれこれ二十年近くになるが、未だによく分らないのが日本酒の品質基準だ。品質重視を口にしている蔵は多い。しかし、何が品質なのかを問うと答えがまちまち。世の常識からすれば、まず「純粋さ」が第一条件になるから日本酒は「純米酒」が当たり前であるはずなのにアル添酒が七割も占めている。酒税法自体がこの他にもさまざまな添加物を認めているという現状からすれば、業界にまともな品質基準を求めても無理なのだろう。徴税のためだけの時代遅れの法律しかもたないのがこの業界の不幸である。

   「日本酒業界の常識は世の非常識」と揶揄されても致し方のない状況だから、宮城県が純米酒宣言をした際にも大手などから批判の声が挙がった。私は、かつて酒造組合中央会の委員会で「なぜ醸造酒である日本酒に蒸留酒を混ぜるのか、消費者に説明できるのですか」と聞いたことがある。「アルコールを添加したほうが飲み易くなります」というのが答えだった。これでは消費者の不信を買いそっぽを向かれて需要が長期低落しているのは当然といえよう。日本酒のことを知れば知るほど疑問が湧いてくるという人が多いというのは事実なのだから。

  こうした業界の中にあって「全量純米酒」を宣言するなど狂気の沙汰なのかもしれない。だが富久錦はそれを十年以上も前から実行に移している。それだけでもこの蔵の経営者の凄みがうかがえる。まさに経営革新だが、それに伴うご苦労は並大抵ではなかったようだ。当社は文字どおり「日本酒業界の良心」であり、お酒に対する信頼感も増しているはずなのにこの蔵にして生産量が十年前に比べて二割近く減っているという。多くの蔵はもっと減少しているとはいえ、衰退業界の中で成長することの難しさがここにも如実に表れている。

  インタビューから明らかなように、同社は、地元密着に徹した方策を次々に打ち出し、いわば地酒メーカーとしての「王道」を歩みつつある。では、この蔵のこれからの課題は何だろうか。強いてあげれば、顧客の囲い込みとコミュニケーションの強化という単発的なものだけでなく、顧客の世代交代の流れにも耐えうるトータルコンセプトを明確にすると同時に、ONE TO ONEマーケティングの仕組み・内容を充実させ最終的に、それらをシステムとしてのコア・コンピタンス(中核的能力)にまでもっていくことではないだろうか。

 

 

 

 企業間競争は、企業力をめぐる競争であり、その競争に勝利するためには他社が容易に真似の出来ない独自のコア・コンピタンスを育成しなければならない。それは、個々の製品でもサービスでもあるいは設備でもなく、独自のスキル・技術・システムの集合体だ。それができて初めて真の差別化が可能になるし、また本格的な成長シナリオを描くことが出来る。

  今回の社長インタビュー、また折に触れての輝彦会長との会話の中から感じられるのは、蔵としての生き方に関する確固たる自信である。それはやはり全量純米酒という革新的な方針が地元の人々を中心に支持され、それが蔵への厚い信頼に結びついていることを実感されているからであろう。

  幸一郎社長はまだ若々しく、豪腕の輝彦会長がお元気なだけに多少遠慮があるようだが、どうしてどうして会長に負けないだけの高い見識を身に付けておられるし、それに体重では会長をはるかに凌駕する堂々たる体躯の持ち主である。このお二人の重量級経営者に牽引される富久錦が、SRNのリーダー・カンパニーとして、また地域密着型のモデル酒類メーカーとして着実に成長されるよう心から期待したい。 (大石)

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【会社データ】

•従業員数:22名(営業4名)

•創業:天保10年(1839年)

•製成数量:430kl

•特定名称酒比率:純米酒100%

•主要販売地域:県内70%、県外は東京および大阪

 

 「地米酒」宣言ポスター

ライトに映える「ふく蔵」

「ふく蔵」をバックに幸一郎社長

蔵元訪問