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現在、都市部を中心にした特定の小売店を通じてのみ販売しています。
最近、発泡酒を発売されたそうですが、SRNとのお付き合いのきっかけや、発泡酒商品化の苦労話などを教えてください。
われわれのように、お酒の好きな人でもアルコール度の高い日本酒は余り飲まなくなり、まして若者は「何々サワー」やら「何々割り」が主流です。低アルコール酒が絶対必要、と考えていたところへSRNの前身の「コンポ・バムバム」の存在を知り、佐久平では一番あとから参加しました。
低アルコール酒は平成9年に「リ・ヴァン7」(7度の米のサケとの意)として商品化し、前述の「帰山」取扱店を通して販売しています。発泡酒については、昨年、一ノ蔵さんを訪ねて指導を受け、今年の6月から「クアトロ」(4度の意)の商品名で発売したばかり。当初は、ビンの口径とねじり栓のサイズが合わず、ビン詰後の火入れ具合によって栓が飛ぶなどの失敗がありましたが、ようやく安定的に生産するメドが付きました。業務店からの引き合いは極めて好調です。
低アルコール発泡酒の滑り出し好調で何よりです。最後に、NRNへの今後の期待や、御社の抱負をお聞かせ下さい。
SRNには、今後とも新しい情報や技術の提供を期待しています。もちろん、現在開発中の「抗潰瘍酒」にも大いに関心があります。当社の独自の課題としては、もっと地元地域との交流を密接にしていきたい。他の蔵と共同で「酒処としての佐久」の認知度を上げていくのも大きな課題です。

遠方からも看板がよく見える近代蔵
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訪問した時、高校生とおぼしき青年たちが三々五々、正門を入ってくるのを見かけて不思議に思ったのだが、実は、敷地の一部を野球場兼サッカー場のグラウンドとして開放しているとのこと。時折、甲子園にも出場する佐久長聖高校の部活動は当社が支えていたのである。
社の沿革を伺うと、岩村田に居を定めて帰農したのは、「武田信玄の24将」の一人、原美濃守虎胤の孫・原甚蔵であり、その何代か後の弥八郎が酒造業の「吉田屋」を開いたのだという。戦国末期に帰農を決断したことといい、昭和の始めに株式会社化したことといい、なにかと「進取の気」に満ちた伝統の力を感じさせる。21世紀に向けて、佐久平の名をさらに高めるような活躍を期待したい。
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【会社データ】
- 従業員数:43名(季節1名)
- 創業:天和元年(1681年)
- 製成数量:約1300kl
- 特定名称酒比率:34%
- 販売先構成:関東、長野
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